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悪魔スヴェンガリ 映画

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・ゲーテ、ファウスト
・聖書の失楽園(パラダイスでの生活と引き換えに、知恵を得る)
などのことが想起される。

スヴェンガリは、美女のトリルビーを、自分の思うように催眠術でコントロールすることを可能とした代わりに、トレードオフとして、自分の健康を害する(トリルビーの頭痛を、スヴェンガリが引き受けてしまう。また催眠術に、エネルギーを大量に使うらしい)。
しかし、それは本当の自然な人間同士手の、自己決定に基づく関係ではないので、トリルビーはスヴェンガリを本当には愛さない。トリルビーが、彼女へのコントロールを強めて、彼女からスヴェンガリへの愛情を高めようとすれば、スヴェンガリの体調が極度に悪化するため、それもできない。

トリルビーは、スヴェンガリの催眠術によって、また彼女自身の才能にも基づくのであるが、歌手として大成する。しかし、人間としての自然な感情を封じ込められてしまう。

また、催眠術によるコントロールだけに限らず、(広い意味では催眠術なのであるが)、人にたいして、同情しながらネガティブなことを言って、味方を装いつつ、その人を貶めたり、間違った判断をさせる、というコントロール。

実際には、こういったことは非常に多く行われている。

人の夢へのチャレンジを、「あなたのため」と言いながら、あきらめさせようとする周囲の人など。

イプセンの「人形の家」のノラなども、そういった旦那のノラへのコントロール、一種の催眠術についての物語である。
「あなたは大変幸せな環境なのよ」という周囲も、彼女への抑圧に加担する。

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