カントの哲学に、以下の主張がある。
「他人を手段としてでなく、目的として扱え」*
学生時代、これを読んだ時は、「まあ、他人を自分の手段のために利用するのは、良くないことだよなあ」、とぐらいにしか思っていなかった。
しかし、社会人となって、営業の仕事をするようになってから、この重要性を身にしみて感じるようになった。
そもそも、自分が営業として、何かを相手の人(や会社)に売っているのは、その相手に、自社の良い商品やサービスを手に入れてもらうことで、その相手にハッピーになってもらうためである、はずである。
だからこそ、その商品の営業をやろうと決めた、はずである。
しかし、実際の営業をしていて、目標数値の到達が危うくなってくると、「なんでもいいから、とにかく買って欲しい」といった、必死な状況になり、最終的には、相手がハッピーになろうとなるまいと、あまり気にしなくなってくる。
余裕が無い状況下での営業活動では、常にこの闘いにハマりがちである。
「1,自分の数値をどうしても上げたい」という気持ちと、
「2,本当に相手のために、相手にこの商品をゲットしてハッピーになってほしい」という気持ち。
どちらが上回るかの、内面的な闘い。
「2,相手のために」が勝ったときに、結果も出るし、お客さんも自分自身も、ハッピーになる。
ある面、この状況がよく描かれている映画として、『てんびんの詩(うた)』(1988年製作)がある。
新人研修や、営業の研修などで、見たことのある人も多いだろう。
<てんびんの詩 公式サイト↓>
http://tenbinnouta.ciao.jp
(Youtube などで(一部)動画が出ていたりしますが、公式でないのでいつ削除されるか分かりません)
近江商人の13歳の子供が、鍋の蓋を、売り歩く。最初のうち、ただもう「売る」ことを目的にしている間は、胡麻をすったり、泣いてお願いしてみたり、何をしても売れない。反感を買うだけである。
しかしある時、ものを売ることの大変さを、痛感する中で、大きな気づきに至る。
「商品」と「お金」という「物」の交換(コミュニケーション)が行われる根底に、売り手と買い手との深い「心」のコミュニケーションが存在するということに気づいていく。
「あきんどは自分のためではなく、人のため」
「お客さまに少しでも有利になることを考えるのが商人」
「経営・商人とは従業員・お客様のために覚悟すること」
「商いは人の道。人の道、外れたら商いではないぞよ」
「売る者と買う者の心が通ってはじめて売れる」
といった映画中の言葉が、印象的。
営業の、本当の目的と、原点が描かれています。
営業という実践の中には、深い哲学と、コミュニケーションの真実が、隠されているのですね。
余談ですが、イエローハット創業者で、凡事徹底・掃除哲学の実践で知られる、鍵山秀三郎(かぎやま ひでざぶろう)氏の、深い共鳴による、大きな経済的バックアップによって、この映画は製作されたそうです。
確かに、通底するものがありそうですね。
さて、営業の本質は、経営の本質にもなってくる。
P.ドラッカーの有名な、「ビジネスの目的とは、顧客の創造である」(The Purpose of a Business is to Create a Customer)も、このことを言っている。
これは、需要を創りだすこと、信頼関係を築きあげること、そして、健全なエクスチェンジ(物・サービス と お金 との交換)が行われている社会そのものの形成を意味する。
彼は、カントのような純粋な哲学者ではないが、経営学者として、その枠を超えて、哲学的レベルまで、マネジメントやビジネスの本質をつきつめた。
経営、すなわちマネジメントに携わる者も、その明確な目的の下に、誇りをもって、日々の課題に対して、つきつめた状況分析を行い、判断を下していく中で、本当に大切なことを学んでいくのだろう。
注)
* 原文は、日本語訳で以下のもの。
「きみ自身の人格における、また他のすべての人格における人間性を、いつまでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し、けっして単なる手段として使用してはならない」
(『人倫の形而上学の基礎づけ』(独: Grundlegung zur Metaphysik der Sitten)エマニュエル・カント著, 1785)
この原文は、
「自分」と「他者」を、常に「目的」として扱うと述べている。
また「手段」とすることを全面的に否定してはおらず、単に「手段」としてのみ扱うことを、いましめている。
エマニュエル・カント:(1724-1804)ドイツの哲学者。