フランスの啓蒙主義思想家で寛容の精神で知られる、ヴォルテールの名言とされている一節、
「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。」
I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.
相手が、自分自身の考えで、自分自身の考えを持つことを、認めること。これが、なされなければ、自由な人間関係、自由なコミュニケーションというのは存在しえない。
相手と、考え方が正反対であっても、相手の視点や立場を理解することは可能である。
(理解することと、同意・賛同することとの違い。)
ちょっと長めの挿話になるが、「建武の新政」の前夜の話。
鎌倉幕府末期、執権北条高時の悪政から、後醍醐天皇が、討幕を企てるが、失敗して、隠岐へ流された。その後、隠岐から脱出して、出雲の名和長年(なわながとし)のもとにかくまわれた。鎌倉幕府方の攻撃に対し、名和長年は、船上山にこもって、防戦する。名和長年の一族の長老に永観(えいかん)という人があり、この人は、名和長年の亡父、名和行高に、息子達である、名和長年兄弟の後見を託されていた。永観は、しかし北条の善政時代を知る忠節なる鎌倉武士として、自らの信念に基づき、鎌倉幕府側に属し、名和長年と戦う。
敵味方となった長年と永観であるが、永観から、長年へ以下のような手紙が届いた。
「先ごろはつらい別れ方をしたが、これでわしもさっぱりした。正直、おまえ方の亡父行高どのに、名和家の後事や、おまえ方の後見などを頼まれて死なれたことは、ずいぶん多年の心の荷だった。
しかし昨日今日、船上山にひるがえる無数な旗幟(はたのぼり)をはるかに見て、これでわしの任はすんだと、ひそかにはうれしい気もする。
だが、わしは根ッからの鎌倉武士だ、まだ弓勢(ゆんぜい)に年は老(と)らせていないつもりだ。そのつもりで貴さまら兄弟も善戦してみてくれ。わしも決して弓の手を弛めはしまい。…
いずれ拝面しようが、そのときはおそらく無言の対面となろうから、なつかしきままの一筆を。」
えいかん頑老(がんろう)
(『私本・太平記 六 八荒帖』吉川英治著)
名和長年とその弟は、一読し、涙しつつその手紙を大事に仕舞う。それだけの、ささやかなシーンなのであるが。
永観は、自分が世話してきた長年が、自分自身の責任意識と判断で、後醍醐天皇方に、誇りをもって味方して、執権北条家に反旗を翻した姿勢に対して、賛成しないけども、その武士としての姿勢に、後見人として誇りをもって理解を示したわけである。そして、その戦で、永観は永観で善戦し、誇りをもって鎌倉武士として敗死する。
自分自身は、自分自身の理性に基づいた(偏見や頑固さに基づかない)信念を貫き、他者にもそういった生き方を許容する。
自分自身は、自分の足で立ち、他者にも、自分自身の足で立つことを許容し、勧め、そうすべきであれば、要求もする。
賛成しなくても、理解すればよいと言うと、以下のような間違いを犯しがちである。
それは自分と違う考えの人がいて、理解まで達しておらず、納得しきっていないのに、オーケーしてしまうケースである。
例えば、ある部下が、営業の数値が今月厳しいのにもかからわず、のんきに定時で帰宅しようとしている。
上司である自分自身は、こういう時は残業して、必死で、アポを増やす準備、努力をしたり、他の営業マンとのロールプレイでトークの問題点を改善したりしてきた。そのように自分自身の先輩からも指導されてきた。
その時に、「多分、昔と今では、仕事のスタイルが違うし、そういうのもアリなのだろう」と考えて、何も言わない。しかし、部下の態度に、何か違和感を感じてはいる。
そういう時は、理解に達するまで、しっかりとコミュニケーションをとるべきである。結果として、部下にもっと努力するように一から厳しく指導することになるかもしれない。あるいは、部下が、実は、こっそり自費でスクールに通って営業のノウハウの勉強を必死にしているのかもしれず、それで納得がいくのかもしれない。あるいはその日は奥さんとの結婚記念日で、そういう時間を大事にしていくことが、結果的に仕事の成果につながるという信念を持っていて、それを聞いて、自分とは考えが違うけれども、筋は通っている、と、納得できるのかもしれない。
重要なのは、理解に達するまで、コミュニケーションをとることである。
また、相手の考えが、何かの偏見や固定観念や無理解から来ているのであれば、それを「尊重」したり「理解」したりするのではなく、相手とコミュニケーションをとることによって、相手のために、相手が相手自身の本当の心の底にある答えを、見つけるのを、助けてあげることも、責任の一部である。