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大英帝国と大日本帝国の盛衰の歴史に見るエリート層の役割

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<有能なエリートを生み出す組織 ―英国貴族と 日本武士道―>

(かつて大英帝国として世界に君臨したイギリスの繁栄の背景にあった、英国紳士たちの役割。そして明治・大正にかけて世界の中での相対的な地位を一気に高めた日本の背景にあった、エリート層の武士道的精神。それらの類似性、違い、そして衰退のきっかけを見てみる)


有能な経営部を持っているか。会社の命運は、それにかかっている。

このことをより広い視野で見てみる。

ある社会が、向上するか、衰退するかは、影響力を保持している上層部のエリート層がどういう状態であるかに、大いに依存している。

革命や内戦(大化の改新、源平の戦い、戦国時代、明治維新など)の後に、上層部の構成員は、全面的あるいは部分的に入れ替わる。
その時点での、上層部のエリート層は、全般的に、有能でリーダーシップがあり、イノベーティブであり、社会全体にも元気がある。創造的なレベルの人々の層が影響力を持つ時代である。

その後、上層部エリート層では、保守的傾向が強くなっていく。世代交代が起こり、有能な一世は、必ずしも有能ではない二世達に、自分の権限を移譲しようとしたりする。また、一旦構成された上層部エリート層内部で、力を維持し、上昇していくためには、外部の本当の敵(国内の発展・開発や、外交などの課題)と戦う(結果を出す)ことにエネルギーを使うより、内部での、上長や周囲への配慮、駆け引きにエネルギーを使ったほうが良いという状況になってくる。
既得権益の保持、世俗的な保身・出世、天下り先を保持したり、子息のためにレールをしいたり、といったことに一生懸命になり始める。これは、保守的な層が、影響力をもった社会と言える。

しかし同時に、この保守的な上層部は、保守的・退廃的傾向を多少持ちながらも、自らのエリートとしての責任は、多少なりとも意識しており、それなりに「社会全体のため」に努力しようともする。


大英帝国の貴族たち

ところで、20世紀は、アメリカが覇権を握った時代であるが、19世紀は、イギリスが覇権を握った時代と言われる。イギリスは、アイルランド、カナダ、アフリカ(エジプトから南アフリカまでを、ほぼ縦断する広大な領域)、インド(現在のパキスタン、インド、バングラディッシュ)、オーストラリア、シンガポール、香港、上海その他の中国利権など、世界の陸地面積の1/4を押さえた、「日の没することのない」帝国であった。

16世紀、エリザベス女王の時代に、スペイン無敵艦隊を破って以来、絶妙な外交のバランス感覚によって、スペインとフランスという二大強国の力を上手く均衡させて制御しつつ、産業革命を起こし、18世紀後半には「アメリカ合衆国」を失いつつも、19世紀初頭にナポレオンを破り、黄金の19世紀パックス・ブリタニカ(注1)の時代を作り上げた。

「英国の」スマイルズの『自助論(self help)』は、まさにこの絶頂期(1859年)に書かれた本で、明治時代に中村正直の訳で『西国立志伝』(1871)と題され、日本でもベストセラーとなったが、実際には、かなりの部分がイギリス人の話であり、『英国立志伝』なのである。

このイギリスの黄金時代の立役者は、『自助論』に登場するような、下流、中流、上流の、驚くべきエネルギッシュな英国人たちであると言える。そして、イギリス産業革命の発明家たちには、どちらかといえば乾坤一擲(けんこんいってき)の逆転を狙う、下流、中流の、人が多いようだが、ここで注目したいのは、上流のエリート層の動向である。

上流のエリート層は、ある程度は、自己や自己の一族の保身や地位向上に熱を上げていた。しかし同時に自分たちの中から、有能でイノベーティブで、社会的責任感が高く、かといって悲壮な使命感ではなく、自然な責務として、余裕を持った態度で、自己のやるべき仕事に臨む人々を生み出し続け、そういった人々を、寛大に受け止めて用いてきた。

例として、外交官でエッセイストの、ウィリアム・テンプル(1628-1699)。フランスとオランダが対立し、どちらに味方すべきかが議会で議論された際のこと。短絡的な視座から、上司である宰相や他の議員が、「強いほうに」味方した方が良いと、フランス支持を訴える中、長期的で広範な視座で、英国の取るべき姿勢を論じ、潜在的脅威であるフランスを封じる意義を訴え続け、オランダに味方するよう遂には議会を動かし、最終的に、ルイ14世を倒した男とまで評される。卓越した有能さと判断力を持ち、熱く信念を訴えて精力的に活動する一方で、人々にも、国王にも、どう思われようが興味がないと言い切り、田園の生活と文学創作を愛した、高潔なるジェントルマンであった。彼の父も祖父も、平均的な、自己の保身と子孫の地位向上にあくせくする貴族ではあったが、その地盤と引き継がれた教養があって、彼のような人物が生まれたといえる。
英国エリートの厚い層は、こういった人物を要所要所で生み出し続け、彼らは、英国の相対的地位向上に大きく貢献していった。

19世紀英国の黄金時代当時は、よく言われる「ノブリス・オブリージュ」(注2)といった、英国紳士の社会全体に対する責任意識を説明する「言葉」も、一般的な用語としては存在さえしていなかったらしい。そういった「概念」が、あまりに「当たり前」だったからである。上層部の構成員は、それを自らの当然の責務としていたし、中・下流階級も、上層部は、そのようなものを持って生き、行動していることを、実際に見てきており、「知って」いたからである。


日本の武士階級のエリート意識

山鹿素行

日本でも、武士階級にはそのような意識が、自然なこととして備わっていた。黒澤明「七人の侍」もそういう文脈で理解できる。しかし、そういった精神を、思想としてあるていどハッキリと明文化したのは、江戸初期の武士で儒学者であった、山鹿素行(やまがそこう)と言える。
彼は、戦のない時代の武士(階級)の役割、また生産しない階級である武士階級の役割(存在意義)は、社会全体に対して責任を負うこと、また、倫理的見本を示すこと、であるとした。幕末に登場する吉田松陰の「吉田家」は、まさにこの「山鹿流」兵学の師範家であった。山鹿素行が、江戸時代の思想界、幕末の志士へ与えた影響は計り知れないものがある。(注3)

勝海舟

勝海舟

幕末の志士たちは、もっぱら、下級武士たちであるが、これも社会全体からの人口比や教養レベルから言えば、十分エリートと言える。
その一人、勝海舟は、祖父の代が、農民出身から高利貸しでのし上がり、御家人の地位を買官(金で買い)、父親は刀の目利きで任侠味のある遊び人気質の人気者で、勝海舟自身は、旗本としてスタートした。やはりエリートとしての金銭的・精神的地盤を二代で築いた上での、勝の登場となるわけである。剣は(桂小五郎や、坂本龍馬のように)免許皆伝レベルで、非常な秀才でかつ努力家、そしてまた、高潔な士として決して権威におもねらず、理性で物事を分析し、徹底的にリアリスティックに状況を捉えながら、ベストな解決策を思い切り良く選んでいき、明確なビジョンを描いて理性でもって人に訴え、古い習慣や、古典的な「忠義」といったものに縛られず、絶妙のバランス感覚で、時代を生き抜き、自分のため、そして人のため、幕府のため、国のため、自由な理性を、一つの筋として貫いた。そしてまた、彼も例の「山鹿流」の学徒でもあった。ある時、福沢諭吉が、勝海舟を批判した。勝が旧幕臣でありながら新政府にも仕えた姿勢を、(要するに)「武士道に反する」と、とがめたわけである。その時、勝は「行動は我にあり、批評は他人にあり」と述べた。高潔なエリートらしい言葉である。

明治維新のプロセスで、日本は幕府側も、倒幕側も、多くの有能な士を失っていったが、それでも、勝のような、(悲観にも陥らず、熱狂的な狂騒にも陥らず、「意地」や「メンツ」ではなく、理性によって)リアリスティクに世界情勢をとらえられる人間がまだまだおり、「坂の上の雲」を目指して前進していった。

『坂の上の雲』を描いた司馬遼太郎は、日露戦争以降、特に昭和の時代になってから、そのようなリアリスティックに、世界や自国の状況を分析し、時節時節に対処する精神が、無くなっていったと指摘している。もっとも、国家自体が、あるいは世界全体が、大きなストレス下にあった時期であったという点は、十分考慮しなければならない。(注4)

これに関連していると思われる一つの出来事として、戦前の日本海軍内の、軍縮条約をめぐる、二つの派の対立から起こった、いわゆる「大角人事」がある。世界情勢の中での、日本と日本海軍の状況をリアリスティックに分析して、大局を論じることが出来た良識の人、山梨勝之進大将や堀悌吉中将ら「条約派」は大角人事によって、一掃された。そして、どちらかといえば強硬で盲目的な傾向を持つ人が多かったかもしれない「艦隊派」が、そのまま残ることになり、日米開戦の遠因になったと言われる。(注5)


まとめ

少し話はそれたが、話を元に戻す。
組織においても、現状維持しようとする、保守的な層と、それもしつつも、十分に視野を持った創造的な層(薄いかもしれないが)がある。
創造的な層は、組織全体に対して責任感・使命感を感じており、コミュニケーションの力に優れた、高潔な人間、単なる空想的理想主義者ではない、十分リアリスティックでありながら、明確で達成可能な理想を描いてそれを周囲に、沁み通らせることができるレベルの人々で構成されている。
そのような人々を、許容できる上層部であるかどうか。そういった人々を見分け、理解し、認め、取り上げ、教育し、磨き上げ、活躍できる環境を用意することができるか。そういったことが、その組織、会社について、人材という視点から見た時の、盛衰を分ける点といえる。

(文責・藤枝)


▼参考:

この社会階層の話を、下記の「感情のレベル」の話として見ると、分かりやすいかもしれない。

感情のレベル(トーン・スケール)

4.0 熱中(enthusiasm)
3.5 快活(cheerful)(自由主義的)
3.0 保守的(conservatism)(民主主義的)
2.5 退屈(boredom)(倫理を、不誠実に扱う)
2.0 敵対心(antagonism)(倫理は、ここ以下では権威主義的)
1.5 怒り(anger)(ファシスト的)
1.1 秘められた敵意(covert hostility)(共産主義的 狡猾)
1.0 恐れ(fear)
0.5 悲嘆(grief)
0.05 無気力(apathy)

※追記予定


▼注
(注1)
パックス・ブリタニカ(Pax Britannica):イギリスによる平和。イギリス(ブリタニカ)の圧倒的な力によって、世界全体において対立・戦争などが、起こりにくくなっている平和的(パックス)な時代のこと。元々は、ローマ帝国時代、圧倒的な力をもったローマ帝国の存在によって、ローマ帝国内(さらには周辺地域も含めて)比較的、戦争が少ない時代が続いたという現象をさして、パックス・ロマーナ(Pax Romana, ローマによる平和)といったことからくる。20世紀の後半は、パックス・アメリカーナと言わたりする。あるいは、米国とロシア(ソ連)という超2大国による(表面上維持された)平和ということで、パックス・ルッソ・アメリカーナなどと言われたりする。

(注2)
ノブレス・オブリージュ(仏 noblesse oblige):「高貴さは社会的責任を伴う」といったことを意味する。貴族は、その社会において、ある程度有利で影響力をもつ立場にいる限りにおいて、必然的に、社会全体の福祉に対する責任を担っているという考え。貴族以外でも、財産的に裕福になった商人、起業家、また企業自体(CSR、メセナなど)、あるいは単に知識人、文化人、などについても当てはめて考えられ得る。この言葉自体が用いられ始めたのは、米国であって、そのような概念を言葉にして訴えたりする必要性が出てきた、英国黄金時代のピークがずっと過ぎ去ってから、よく用いられるようになったようである。また、この概念の実際を示すエピソードとして(適切な事例とは思わなのだが)、一次大戦時に、オックスフォードとケンブリッジの学生が志願兵として戦場へ赴き、学生全体の1/3が、死傷によって戻ってこなかったという事実がよく紹介される。

(注3)
山鹿素行(やまがそこう):(1622-1685) 江戸時代初期の武士。儒教の朱子学を修める。戦のない時代の武士(階級)の役割、また生産しない階級である武士階級の役割(存在意義)は、社会全体に対して責任を負うこと、また、倫理的見本を示すこと、であるとした。幕末の吉田松陰は、まさにこの「山鹿流」兵学の師範家。(儒学だけでなく、国学、尊皇攘夷などへも繋がる)江戸時代の思想界、幕末の志士たちへ与えた影響は大きい。

(注4)
その精神的転換を「慢心」「傲慢さ」に帰する人もいる。また、日露戦争で「10万の英霊と20億の国費」を犠牲にして戦った権益を「守らなければならない」という、「理性に基づくのではない」強迫観念の類に帰することもできるのかしれない。あるいはその喪失を受け止めきれないという直面力のなさ、に帰することもできるかもしれない。
アメリカで始まった世界恐慌から尾を引く、世界的なストレスに関して言えば、イギリスでさえ、第二次大戦には、衰退期の必死の(desperateな)もがきといった様相を多少なりとも呈しており、(イギリスらしくなく)盲目的に戦い切った感があり、戦後、一気に世界的影響力を失った。実際、狡猾に振舞い、得をしたのはアメリカだけであったと言えるかもしれない。

(注5)
日露戦争の英雄、東郷平八郎が、強気の「艦隊派」にくみし、この人事を後押しし、影響を与えたという事実は、「日露戦争」を境にした、日本人の精神性の、若干の転換を考えるとき、象徴的なことと言える。
また、古き良き大英帝国時代の英国海軍から、その技術と、ユーモアと合理性と良識のある精神とを受け継いだ、日本海軍の精神性が、そのようにして、少しずつ失われていったとも言える。

参考文献:

『大英帝国衰亡史』中西輝政著 PHP研究所
『自助論』S.スマイルズ著(関岡孝平訳など)
『勝海舟 歴史に学ぶ人間学』堂門冬二著
幕末・維新人物伝 勝海舟 (コミック版日本の歴史) ポプラ社

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