英語の cool の意味は、主要なものとしては、
1.天候や空気についての
「涼しい」「少し寒い」
2.人の状態についての
「冷静な」「落ち着いた」「無関心な」
3.肯定的な価値観としての
「すてきな」「かっこいい」「しぶい」
などがある。
3番のクールについては、インターネットが普及し始めた1990年代中ころから、日本でもよく聞くようになった。
もともとは
1930年代初期、アフリカ系アメリカ人の俗語として、「ファッション性がある」「イケてる」という感じで使われはじめたらしい。
それから、1940年代、ジャズの世界で広く使われるようになった。
基本的なジャズの演奏上のルールを理解し、技術的にもきちんとマスターした演奏家が、自分なりにそれをくずして即興でアドリブ演奏する。既存の完成した芸術形態を、消化しきったアーティストが、創造的に、既存のものをひねり崩していく。
そういった状況を、「クール」と言ったようである。(※)
日本の芸術や武道の世界での「守破離(しゅはり)」(※)でいうところの、「破」に相当するともいえる。
ホットより熱いクール
普段、単純に「かっこいい」という意味で「クール」と使っていたりするが、こう見てくるとなかなか深い意味がある。
人間関係についていえば、「冷たい」「無関心な」「冷淡な」という意味でのクール(あるいはコールド)よりは、暖かいホットな方が基本的には良いといえる。
しかしそのホットさが、慣れ合いでぬるま湯のホットさ、大衆迎合的な状況を帯びてくるのであれば、そのレベルをきちんと理解して消化したうえで、そこから一歩、上の方へと抜けだして、自分個人としての感覚を信じて独創的に表現する芸術家の姿勢や、自分の信念に基づいて遠くの目標を見据えて行動する起業家や生きざまには、本当のかっこ良さがある。
しかし、この中間の「ホット」な領域を「無視」して、つっぱしる芸術家は無視されがちだろうし、ひとりよがりになってしまうだろう。「ホット」な現実をふまえない起業家は、独断的に向う見ずな判断をしかねないし、大衆心理を理解せずマーケティング的にも失敗するだろう。
そこには、ホットな現実を、冷静にありのままに捉えるクールさがある。
そのクールさは、実際、表面的で短絡的かもしれないホットさよりも、ずっとずっとホットなのだろう。
熱いクールな起業家ベゾス
アマゾン創業者、ジェフ・ベゾスの言葉
未踏の地を探検するのはクールだ
征服するのはクールじゃない
信念はクールだ
大衆に迎合するのはクールじゃない
大きく考えるのはクールだ
意外なことはクールだ
これは、アマゾンの価値観の表明として述べられている内容である。
ベゾスは28歳ですでに 1000人規模のヘッジファンドのシニア・バイス・プレジデントとなり、将来の十分な高給が保証されていた。しかし、今やらないと後悔するとして、退職し、自ら成功確率30%と見積もった、アマゾン創業へと乗り出した。クールは、彼の価値観の根底にあるものだと思う。
P.S.
(クールについて)
・意味としては、ドラッカーなどのいうインテグリティとも通じる。
・伝統的道徳観と用語が陳腐化するなかで、それに代わって、浸透している美徳(virtue)といえる。
・メディア論で有名な文明評論家、マクルーハンは、メディアを以下のように分けている。
「ホットなメディア」(情報量が多く、受容者側で情報を補完的したりコミュニケーションをしたりする要素が少ない。個人的な受容で完了する傾向のもの。映画、写真、ラジオなど)
「クールなメディア」(情報量が少なく、受容者側で情報を補完的したりコミュニケーションをしたりする要素が多い。個人的にイメージを広げたり、敷衍的に他者とコミュニケーションを取っていくことの意義が大きいもの。テレビ、電話、会話など)
1960年台の議論であるし、上記のような明確な2分の区別は難しいと思われるが、受容者側が付加的に手を加えて補完的に想像・創造し、他者へと広がっていくという部分では、本文のジャズの論点とも通ずる。
※
参照:
GQ:男性のためのメンズ・ファッション&クオリティ・ライフスタイルマガジン
「クールの哲学」より
https://gqjapan.jp/culture/column/20141024/philosophy-of-cool/
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※
「守破離(しゅはり)」
日本の茶道、能楽、剣道などで言われる、成長の段階
「守」師匠のやり方をそのままコピーして、そのとおりにできるようにする段階
「破」型を破り、自分自身の創意工夫を取り入れる段階
「離」師匠の型を離れて、自分自身の新しい型を創造していく段階