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独行道解説―宮本武蔵の視点とマネジメント

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宮本武蔵は、61歳で亡くなる晩年の数年に、『五輪書』と、「独行道(どっこどう)」というのを書いて、弟子に渡している。「独行道」は、武蔵の姿勢や価値観が、コンパクトにまとまっている。


『独行道』(どっこどう)

(部分的現代語訳)

一、世の中のさまざまな道に背く事なし
一、身のたのしみを得ようとせず
一、どんなことにも、それを頼みにする心を抱かず
一、身を浅く思い、世を深く思ふ
一、一生の間、欲深いことを考えず
一、我、事において後悔をせず
一、善悪の判断において、他人への嫉妬の心は介入せず
一、どのような道においても、別れを悲しまず
一、自分にも他人にも、不平を言わず、嘆かず
一、物ごとに好き好んで執着せず
一、恋慕の道、思いよる心なし
一、私邸について、あれこれ望む心なし
一、身一つ簡素にして美食を好まず
一、代々伝えるような骨董品を所持せず
一、わが身に関し、物を嫌わず
一、武具は別として、他の道具はたしなまず
一、道のためには、死をいとはず思う
一、老身で財宝を持とうとする心を持たず
一、仏神は貴し、仏神をたのまず
一、身を捨てても名誉心は失はず
一、常に兵法の道をはなれず


『独行道』
(カナだけ現代語にした原文)

一、世々の道をそむく事なし。
一、身にたのしみをたくまず。
一、よろづに依枯(えこ)の心なし。
一、身をあさく思、世をふかく思ふ。
一、一生の間よくしん(欲心)思はず。
一、我事におゐて後悔をせず。
一、善悪に他をねたむ心なし。
一、いづれの道にも、わかれをかなしまず。
一、自他共にうらみかこつ心なし。
一、れんぼ(恋慕)の道思ひよるこゝろなし。
一、物毎にすき(数奇)このむ事なし。
一、私宅におゐてのぞむ心なし。
一、身ひとつに美食をこのまず。
一、末々代物なる古き道具所持せず。
一、わが身にいたり物いみする事なし。
一、兵具は各(格)別、よ(余)の道具たしなまず。
一、道におゐては、死をいとはず思ふ。
一、老身に財宝所領もちゆる心なし。
一、仏神は貴し、仏神をたのまず。
一、身を捨ても名利はすてず。
一、常に兵法の道をはなれず。

武蔵直筆の可能性があるとされている獨行道 末尾に新免武蔵とある(熊本県立美術館所蔵データベースより)

武蔵直筆の可能性があるとされている獨行道 末尾に新免武蔵とある(熊本県立美術館所蔵データベースより)

ここで浮かび上がってくる生き方というのは、

1)ひたすら自分の目的(兵法家である武蔵の場合は、兵法の勝負に勝つこと)を達成するために
2)人や神や物に自分の心を依存させず、頼ったりせず、
3)自分自身の方向性(道)を、極めていく

という生き方である。

宮本武蔵

宮本武蔵


1)ひたすら自分の目的(兵法家である武蔵の場合は、兵法の勝負に勝つこと)を達成するため。

「独行道」は、これだけ読むと、一見、リゴリスティック(rigoristic,倫理厳格主義的)な、修行者のもののようである。

しかし、よく抑えなければならないのは、宮本武蔵は、勝つという目的のために、それまでの常識にとらわれず、ひたすら柔軟に、ひたすら合理的に取り組んだ、リアリスト(現実主義者)であったという点である。

山口県下関市の巌流島にある、武蔵VS小次郎の決闘シーンの像

山口県下関市の巌流島にある、武蔵VS小次郎の決闘シーンの像

一刀を一本の腕と一体のものとして、二刀流を始めたのも、単にその方が(彼のような腕力のある者にとっては)強かったからである。重い日本刀を片手で持つというようなことは、当然、相手の刀の衝撃にも耐えられず、刀の速度も出ず、刀としての本来の設計上の使用法からして、不利である、といった常識に囚われてはいなかった。

(吉岡家一門との勝負や、小次郎との勝負において)時間に遅れて決闘の場に現れることについて、真意は定かではないが、相手のこころを焦らすといった心理的な駆け引きも、広く勝負の一部として捉えていたのかもしれない。

2)人や神や物に自分の心を依存させず、頼ったりしない生き方。

「人」(別れを無用にさびしがる同情心、恋慕)
「神」
「物」(道具、住居、金銭、美食、身の身体的快楽を必要以上に与えるもの)
こういったものに、過度に依存し始めると、人は、人生において「影響を受ける」側に偏ってくる。本来、人生において、まわりに自分の理想とする良い方向へ「影響を与える」ことが、ビジネスでも人生でも重要である。

仕事などのストレスがたまると、ついこういったものに依存したくなるものですが。

ビジネスで何かを成遂げるには、この自分の理想とする良い方向へ向けて、周りに対して「影響を与えていく」ことに喜びを見出していくことが、なんとしても必要なのである。

それを進めたところに、下記の境地がある。
3)自分自身の方向性(道)を、極めていく。

経営学者ドラッカーが、『マネジメント』等の中で、まともな組織に絶対不可欠な要素として挙げている、インテグリティ(Integrity, =高潔さ、真摯さ、誠実さ)という言葉がある。

P.F.ドラッカー

P.F.ドラッカー

意味は「自分が、正しいと思って(信じて)いる事柄について、正直であり、強くある状態のこと。」(the quality of being honest and strong about what you believe to be right. / by Longman Dictionary of Contemporary English)

これは頑固さとは違う。思い込みに囚われず、自分が作り出したい影響へ向けて、信念をもって、貫き、周りの状況を変化させていく。

これは道であり、自分のためもあるが、人のためでもある。人のためであることが、自分のためでもある。だから「世の道」に背くこともない。

そして、その道、その仕事を進めていくことは、時に、厳しい状況もあるだろうが、本質的に、最もやりがいのある、仕事となるだろう。


ここで、改めて、詳しく各項目の意味を解説

一、世の中のさまざまな道に背く事なし

自分の仕事と信念(道)を追求していくことは、世の中のただしい道と、相反することは根本的にはないはず
もし相反することがあれば、自分を修正する必要があるかもしれない

一、身のたのしみを得ようとせず

自らを「影響を受ける側」に過剰に置くような、快楽を求めすぎない

一、どんなことにも、それを頼みにする心を抱かず

他の何かの、物なり価値観なり人物などに依存することは、自己放棄、自己への無責任となる。あくまで自分で観察し、考え、他人の意見は、あくまで、参考データとして、最終的な判断は、常に完全な自らの責任で行うべきである

一、身を浅く思い、世を深く思ふ

自分の仕事と信念(道)を追求することは、自然と、目の前にある世の中自体のことを配慮することに結びついている。人は、相対的に、自分を重視しすぎる傾向があるため、世を深く思うことでちょうどよいくらいである。また、世を深く思うことで、自分自身の仕事や信念の追求も、より明確で、深いものになってくる。

一、一生の間、欲深いことを考えず

自分を中心として欲を追求することは、自らを「影響を受ける側」に置くことであり、それは避けるべきである。自分個人や身内を中心とした欲深いことを考えて追求しすぎれば、自分が深いところで本当に達成したい仕事と信念は、おそらく見失われていく。

一、我、事において後悔をせず

非常に有名な一節。過去は、分析して整理して参考データにはするが、後悔はしない。後悔するということは、その行為をした過去の自分を責めているのであり、その行為をした過去の自分自身に向き合いきれていないということ、向き合い切る勇気がないということを意味している。

一、善悪の判断において、他人への嫉妬の心は介入せず

善悪の判断は、状況を真っすぐに見て、それぞれの視点に柔軟に立つことができる姿勢で、行うべきであり、少しでも、個人的な感情が入ってはいけない。

一、どのような道においても、別れを悲しまず

本来の、純粋な愛情というものは、たとえば太陽の光のようなものであり、レベルの低い同情心や依存心に基づく、ねばねばとしたものではない。それぞれが、それぞれの信念にそって進んでいくのであれば、別れを不要に悲しんだりすることはない。

一、自分にも他人にも、不平を言わず、嘆かず

不平を言うことは、その不平を言う対象に、自分が精神的に依存していることを意味する。自分のインテグリティを貫く人は、あらゆる状況について、人や環境のせいにしたり、人や環境の「影響を受けて」落ち込んで嘆くといったことも、しない。ただ自身の仕事と信念を貫いて、到達すべき最終目的へ向けて、状況を把握し、前進していくだけである。

一、物ごとに好き好んで執着せず(物毎に数奇このむ事なし)

あくまで自分の仕事や信念の到達に意識を向けるべきで、その視点で物事を判断していくべきである。行きすぎた受け身な快楽主義的な視点(快楽を受けようとする「影響を受ける」立場)で、何かを心奪われるほど、はまり込んで好きになってはいけない。心は自由に、自分の選択力の下、コントロール下にあるべきである。

一、恋慕の道、思いよる心なし

恋慕の情は、しばしば、快楽を受けようとする「影響を受ける」立場に、自らを置くので、自ら進んでそうしようとはしない

一、私邸について、あれこれ望む心なし

いきすぎた物欲によって「影響を受ける」立場に、自らを置かない

一、身一つ簡素にして美食を好まず

いきすぎた物欲によって「影響を受ける」立場に、自らを置かない

一、代々伝えるような骨董品を所持せず

いきすぎた物欲によって「影響を受ける」立場に、自らを置かない

一、わが身に関し、物を嫌わず(わが身にいたり物いみする事なし)

先ほど、「(没頭するようには)好きにならない」という条があったが、今度は「嫌いにならない」といっている。自分の反応的な感情で、好き嫌いしたりしない、ということである。
「武道具の利をわきまゆるに、いづれの道具にても、おりにふれ、時にしたがい、出合うもの也。・・・将卒共に物にすき、物をきらふ事悪しし。」(『五輪書』地の巻)という節から、ここで言っているのは特に武具についてのことと思われる。

可能性は低いが、「ものいみ」を、けがれたものを避けるという意味でとらえ、「わが身に関し、迷信に左右されず」と解釈した場合:吉、不吉、といったものについての迷信にとらわれない。それらに依存しない。あくまで、自分の目で見て、観察し、情報は自分で評価して判断し、行動すべきである。自分以外のものを、無責任に信じたり、それを判断基準にしたりしない。

一、武具は別として、他の道具はたしなまず

これは、自分の活動分野を兵法、それにかかわる道具としての「武具」を、物的研究対象と定め、その範囲で自分の道を究めるという決断を示す。武蔵は他の書画などの分野でも一流の作品を残しているが、あくまでそれらは派生的なものなのだろう。人生でも、仕事でも、その時々のプロジェクトでも、何をターゲットとして、取り組むのか、なにをターゲットとして取り組まないのか、線引きを明確にしないと、その活動は明確にならない。

一、道のためには、死をいとはず思う

命=身体の存続、へのこだわりも、ひとつの、物への固着である。自らの仕事や信念(道)、作り出したい理想、最終結果の追求は、個人的な生命への過剰なこだわりも超える。

一、老身で財宝を持とうとする心を持たず

いきすぎた物欲によって「影響を受ける」立場に、自らを置かない

一、仏神は貴し、仏神をたのまず

より大きな存在(仏、人物など)に対して、謙虚な敬意をもち、謙虚に学ぼうとする姿勢をもつが、それらに依存することはしない。あくまで、自分の責任で判断し、行動する。

一、身を捨てても名誉心は失はず

ここでの「名誉(名利)」とは、他人からどう思われるかというより、自分自身で自分自身を誇りに思えるということ。

一、常に兵法の道をはなれず

兵法(ひょうほう)とは、「(主に武力を中心とした)勝負に勝つための方法」である。「兵法の道をはなれず」とは、上記のような生き方のスタイルを決して離れないこと。

より一般化した言い方に変えて整理すると、

自分自身の、(自分と社会をしっかり見据えて考慮した上での)理想を達成するために、
人や神や物に自分の心を依存させず、頼ったりせず、
自分自身の信念と、インテグリティ(Integrity,高潔さ、誠実さ、真摯さ、完全さ)を貫いて、極めていき、
その理想を達成していくこと。

といえるだろうか。

そして、こういった姿勢は、自己マネジメントにも、組織マネジメントにも、通底する根幹部分といえる。

実際、ビジネスにおいて、本当に充実した成功を収めている経営者、リーダーたちは、上記のような共通の特性を持っていると言える。
例)松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫、井深大、豊田佐吉 など。

(文責・藤枝)

参考)現在伝わっている「独行道」には、主要なもので、上記の21条のバージョンの他にも、19条のバージョンもあり、そちらでは「一、身をあさく思、世をふかく思ふ。」「一、身を捨ても名利はすてず。」の二つが欠ける。

参考文献:『宮本武蔵 剣と人 遺書『独行道』に秘められたその実像』(渡辺誠著,新人物往来社,2002)

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