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Integrity

徹底してとことんやる根気の意味―鍵山秀三郎氏の話

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イエローハットの創業者、鍵山秀三郎氏が、以下のようなことをインタビューで述べている。

「徹底しないと、飽きるんですよね。嫌になるんです。徹底しないというのは、自転車や自動車のタイヤに、穴が開いているようなものでしてね、やがて空気が漏れて使い物にならなくなりますよね。それと同じでしてね、徹底しないと、意欲が湧いてこない。嫌になってくるんですね。誰しも人間はですね、きちっとしたことがしたいという、気持ちを、どこかに持っていますから、きちっとしたことをやり続けていると、次へのエネルギーへつながるんですけども、まあ、このくらいでいいかというですね、便宜主義的な考え方が、どこかにありますとね、自分の心が壊れていく。タイヤの空気が抜けていくのと同じですね。・・多くをやらなくても、たとえ小さな部分でも徹底してやれば、やがてそれは、多くの部分をすべて徹底することにつながると。そういう風に思ってやってきたんですね。」

同氏は、『凡事徹底』『掃除哲学』で知られる経営者であるが、その視点は、上記に言い尽くされているように思う。

しかしタイヤを例に挙げてくるあたりは、さすがイエローハットですね。
以前に、ドラッカーのインテグリティについての記事 で取り上げたが、
Integrityという語は、「高潔」、「真摯」、「誠実」といった道徳的な意味より以前に、本来、「完全さ」という意味を持っている。
パンクしていないタイヤの状態が、インテグリティのある状態といえる。

目の前の課題に、常に注意をいきわたらせ、そこに興味を持ち続け、新たな発見をし、そこに改善の余地、工夫すべき余地を見出し続ける。
「掃除」といった面倒で単純な作業にさえ、とことん興味を持ち続ければ、様々な発見、改善の余地を見出すことができる。
そのような姿勢がなければ、ビジネスも上手くいきにくい。

 

「退屈」は自分が作り出している


そのような姿勢を取らずに、「やるべきだ」と思ったことをやらずにしておくと、その無責任な姿勢を起点として、人は「自ら」その対象に対する興味を無くしてしまう。

要するに「興味がない」「飽きた」「退屈した」というのは、「やるべきだ」と思ったことをやらなかった無責任さの「言い訳」として、後付けされたものなのである。

 

「根気」の意味


「根気」という言葉がある。
「一つの物事を途中で投げ出さずにし続ける精力」(岩波国語辞典第六版)

これは、やみくもに、あるいは頑固さや意地でやり続けることではない。

初期の関心を持ち続け、そこに興味や工夫の余地を見出し続け、「やるべきだ」と思ったことを、とことん、やり続けることによって、この「精力」は、自然と再生産され続けるものだと言える。

もちろん、商品タイプAは時代に合わなくてどうしても売れないのかもしれない。

最善を尽くしたうえで、それに適切に見切りをつけて、新しい商品タイプBの開発に取り組むことには、何の問題もない。

同じ「タイヤ」がらみでいけば、ブリジストン創業者・石橋正二郎氏は、初期の仕立屋 → 他の商品を切り捨て「足袋」に特化 → ゴムがらみでタイヤメーカーへの転身と、多様な変化を見せているが、それもその時その時の状況を徹底して突き詰めた結果としての変化である。※

 

 

タイヤは交換不可能だが修復可能


しかし、「タイヤに穴を開かせた」まま、次の新品タイヤに移ることはできない。

自分が、いい加減な仕事をして、その仕事への興味を失い、転職したとしても成功はおぼつかない。

 

このタイヤは、その人のビジネス人生全般において、交換不可能なタイヤである。穴が開いたのであれば、自分で再度、修復して膨らませるしかない。

しかし、それが必ず修復可能であるということは、喜ぶべきことと言える。

(文責・藤枝)



石橋正二郎は「石橋を叩いても渡らない」といわれるくらい慎重な人であり、酒もタバコもやらない、誠実そのもののような人だったらしい。もし「仕立屋」が「やるべきこと」だと思ったら、一生、ためらいなく、仕立屋の道を究めただろう。

 

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