武蔵は、(剣に)手をやった。
「これ(剣)に生きよう! これを魂と見て、常に磨き、どこまで自分を人間として高めうるかやってみよう! 沢庵(坊主)は、禅で行っている。自分は剣を道とし、彼の上にまで超えねばならぬ。」」
(『宮本武蔵』第一巻、地の巻 吉川英治著)
1935年-1939年の間、第二次世界大戦開始前夜まで、朝日新聞に連載され、新聞小説史上最大の人気を誇ったこの作品は、大衆レベルで、「自分の職業を極める中で、自分の人格をも高いところまで磨いていく」というスタイルへの共鳴を引き起こした。
ホームラン王、王貞治(1940-)(追記に詳細な注釈有り)も、その大記録を達成していく道において影響を受けた一人のようである。バッターとして「調子の良い時は(相手が投げた)ボールの縫い目まで見えた」王さんは、相手の剣の動きをギリギリまで見切ってかわすというような生死の境での透徹した冷静さ・直面力を発揮した宮本武蔵とは、技術的な面でも通じるものがあるのかもしれない。
このような姿勢は、武士の世界では武士道という形で、町人の世界でも、職人の道、あるいは石田梅岩の商人道として、また茶道など、芸術の世界でも「◯◯道」という名称に現れているように、特に江戸時代に先鋭化されていった。
その道の専門家として、プロフェッショナルとして、ベストを尽くして、よりよい物、よりよいサービスを追求する、という姿勢は、現在でも、十分に重視されている。
また、これら全てに共通して言えることは、そのことが同時に、人間としての人生に対する本当の向き合い方とは何か、というテーマにもしっかりと重なってくるということである。
また、この作品の武蔵の描写として、印象的な部分は、他人から自分に対して間違った評判を立てられようとも、ひょうひょうとして自分自身の、剣の道、人の道としての正しさ、これのみを関心事として、貫いていくところである。
佐々木小次郎は、武蔵の行動についてのネジ曲がった解釈で、悪い評判を世間に広めまわったりするのであるが、彼にしても、自分なりの信念、正しい判断と思うところに従って、発言し、行動し、他者からの変な評判など露ほども気にしない。
武士というものは、ある意味、他者から完全に独立した、一貫した自分自身の世界観を持っており、自分自身が正しいと思ったこと、人のためになると思ったこと、それをただ貫いていく。一つ一つの行動が、自分自身の価値観に照らして、正しいかどうか、正しかったかどうか、それのみが関心事なのである。
それぞれが美しい世界を持ち、堂々と渡り合う。価値観自体は異なっても、そういう独立した世界を持って、ひとつの生き方を貫いている相手に対しては、比類なき敬意を持って、交わりあい、そしてぶつかり合う。
そのような古き良き、すがすがしい、世界同士の衝突、コミュニケーションがそこには描かれている。
自分自身に対する正直さ、正しさを、純粋に信じて追求し、他者のそれも同様に尊重し、そしてそれが結果としてよい社会につながる、という楽天的で健全な精神がそこにはある。
しかし、この吉川英治『宮本武蔵』の直後に起こった、戦争、そして敗戦を経て、その単純な人生観の上には、GHQの教育の甲斐もあり、それ以前と比べれば、広範な薄暗い影が落とされてしまったようである。
人生はもっと複雑なものだと言ってみたり、自分の考えに対して不必要に懐疑的になってみたり、真実などは相対的なものにすぎないんだとうそぶいてみたり。
人生の単純さ、シンプルさを見抜くには、結構な、勇気が必要かもしれない。結構な、直面力を要するかも知れない。
「飽くまで天寿を全うするまで勝ち抜いて、この世に見事に生命の太い線を描いて見せなければ、兵法者として一人前に生きた者とはいわれないのである。」(『宮本武蔵』、第四巻、火の巻)
どんな道であれ、どんな生き方であれ、課題と正面から向かい切った人が「生命の太い線」を描くのであり、そのプロセスに、本当の面白さがあると言える。
武蔵と小次郎との決闘も、真剣ではあるが、そこに一切の悲壮さがなく、相手に対して複雑でねちねちした愛情や同情もなく、五月晴れのようにカラッとしたひとつの世界と、ひとつの世界とが、鮮やかにぶつかり合う。負けた方にも、一切の悔いや影などは、存在しない。
マネージャーであれ、職人であれ、事務員であれ、政治家であれ、それぞれが自分自身の仕事をプロとして取り組みつつ、人間としての磨きをかけていく。
他者に対しては、例えばビジネスにおいても、喜々として、お互い、相手の手の内を読み、予測し、手を打つ。協力することもあるし、駆け引きすることもある。
本来、あたりまえともいえる、このような単純なことに、正直に素直に取り組める精神を、今の時代にふさわしい形で、もう一度教育していきたいと思う。
追記:
王貞治氏の、有名な「真剣」を使った練習に関して。
週刊ポスト2015年8月21・28日号に掲載されている王貞治氏らへのインタビュー記事で、本人は以下のように述べている。
「王:昔の剣豪は命をかけて鍛錬したわけです。僕らは打てなくても明日があるが、彼らは負ければ死んでいた。命をかけている剣豪たちの真似が少しでもできれば、ということでやっていた。」
http://www.news-postseven.com/archives/20150818_341721.html
「真剣」を使った練習については、十分、合理的な根拠があり、まっすぐに刃を出さないと切れない真剣の特性、力点の置き方、タイミングの判断、といった点で、練習に適していたからであった。精神的な部分でも、少しでもいい加減に扱えば自分も傷つく真剣での練習は、当然、良い意味での緊張感を引き出す練習にもなっていたし、また、尊敬する宮本武蔵の精神性を、より身近な形で学ぶ機会になっていたのだろうと思う。まさにバットを自分の体の一部として使いこなす域に達するための、修行になっていたのだろうと思う。
空手、極真会館の創始者、大山倍達(おおやま ますたつ, 1923-1994)は、山籠りの修行の際も、吉川の宮本武蔵を座右の書とし、道を極めた。大山倍達の伝記をベースに描かれた大人気漫画『空手バカ一代』(原作:梶原一騎)の中でも、特攻隊を志していた大山が、戦後、生きる方向性を見失っている時、吉川英治の宮本武蔵を読んで、自らが追求するべき道に目覚め、波瀾万丈の空手人生をスタートしていく様子が描かれている。彼が、何らかの限界に行き詰った時は、いつも吉川武蔵を読み始め、武蔵の生き方に鑑み、未熟な自己を修練していく。彼の空手や、上記の漫画をきっかけとして、吉川武蔵に興味を持って読み始めた人も、多いだろう。
水泳界では、世界記録を連発した「フジヤマのトビウオ」古橋廣之進(1928-2009)も影響を受けた。
将棋の升田幸三(ますだ こうぞう, 1918-1991)実力制第4代名人などもこの本の影響を受けた。「既成の定石」にとらわれず、「新手一生」を掲げ、常に序盤でのイノベーションを数多く起こした。「棋士は無くてもいい商売だ。だからプロはファンにとって面白い将棋を指す義務がある」「大切なのは創造です。人まねを脱して新しいものを作り出すところに進歩が生まれる。」「勝負は、その勝負の前についている。」「アマチュアは駒を動かしただけなんです。「指した」とは別のことですよ」「僕には不利だ、不可能だといわれるものに挑戦する性癖がある。全部が全部成功するわけではないけれど、それが新型になり、新手を生み、つまり将棋の進歩に繋がる。他の人は安全に先を考えるから先輩の模倣を選ぶ。」「人生は将棋と同じで、読みの深い者が勝つ」など、吉川の武蔵を彷彿させる名言は多数。
2000年代になって大ヒットした、井上雅彦の漫画『バガボンド』は、吉川英治の『宮本武蔵』を原作とする。ただ、彼なりの創作部分も多く、(子供っぽい)野性的な性格の強い武蔵となっている。吉川の武蔵では、1巻が終わったあたりで、ほとんど人間的にはできあがった感がある。『バガボンド』のヒットは、若者層を中心に、この「吉川・武蔵」への再度の興味を引き起こした。
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